清朝光緒元年(1875年)から現在にいたるまで、現在台湾地区には34基以上の灯台が建設されてきました。その中には清朝、日本、中華民国とそれぞれの時代の作品が含まれており、歴史変遷、人文活動、地理環境、ビジネスなど様々なものと密接に関係しています。今回の展覧では34基の灯台の写真や文字紹介に加え正確に製作された台湾灯台の分布模型を合わせて展示しています。灯台の起源から台湾灯台の概況まで、また灯台の建物自体の関連紹介や媽租および灯台守のストーリーまで、プロカメラマンのレンズを通し写しだされる世界灯台の美しさは、非常に貴重な海洋文明と知恵を映し出しています

夕暮れ時になると、灯台の灯りはキラキラと輝き、あたかも蛍の光が海面で飛び跳ねているかのようです。灯台によっては地上の鮮やかな夜景と混ざり合って相互に輝き、きらめく美しい風景を奏でています。

台湾は海で囲まれ、東は太平洋、西は台湾海峡に接しており、近隣海域には80あまりの大小異なる島があります。沿海の地形は複雑で天気は変わりやすいため、清朝以来、往来する船舶の安全を強化するため、多くの危険海域に灯台を建造しました。山頂や崖にそびえたち、雨風をも恐れぬ灯台の背景にあるストーリーをご存知でしょうか。一生のうちどれほどの灯台を訪れることができるでしょうか。灯台に豆知識どれだけを知りたいでしょうか。

今回の「灯りを掲げる巨人‐台湾灯台特別展」では、34基の灯台ストーリーと共に灯台の神秘に



海洋は地球面積の約70%を占めているため、大陸や島々に住む人類は船舶により海上を航行し漁猟、交通運輸を中心とした生活スタイルを送っています。これまで船舶の航行は航海計器に頼るほか、激しい風雨や荒れ狂う高波の夜には、特に灯台などの航行補助設備を用い測定や船位確認し危険な暗礁、浅瀬、沈没しやすい場所や危険地帯を回避し、正確に航行できるよう誘導して安全を確保してきました。

約3000年前、人類はすでに灯台を利用して航行の指標とすることを知っていました。昔の灯台は塔の頂上にそのまま外に金属製のカゴを置いただけのものでした。そのカゴの中で木や木炭を燃焼させていましたが、後に燃料は牛脂、羊脂、石油、ガスを使用するようになり、その後アセチレンランプや現在の電灯に変わっていきました。文献資料によると世界最初の灯台は、西暦前305年にアレクサンダー大王がエジプトアレキサンドリア港に建てた「ファロス島の灯台」という石造りの灯台です。塔上のたいまつは昼夜いつでもさん然と灯りを放っていましたが、今では遺跡がわずかに残されているだけです。

その後、各国で航海が必要となるにつれ灯台建設は世界各地に及ぶようになりました。独特で、美しい様々な灯台が山頂や崖にそびえ立ち、船舶のために海上を照らしています。科学技術の進歩や便利なGPS測位システムの登場により、灯台の航行補助機能は徐々に失われていきました。現在世界で活動している発光灯台はおよそ1400基あまりとなり、先進国では灯台は観光名所や地方を代表する風景へと変化しています。



台湾の海岸線は非常に長くその海路は困難で危険なため、かつて少数民の間では自分たちで設置した簡易性オイルランプなどを地元漁船の案内だけのために用いただけで灯台を使用し船舶を安全に誘導することはほとんどなく、台湾海域を往来するのは大変な仕事でした。清代同治元年に税関前総税務司であった赫徳氏はこれに鑑みて、政府から税関の授権許可を得て、欧州の新法に照らして台湾沿海や河川に灯台などの航行補助設備を建造しました。こうして航行が便利となることにより貿易が発展し税収を大きく増やすこととなりました。

1868年、税関に海務科が設立され、海務科税司が灯台などの航行補助設備の建設と管理を専門に行うようになりました。こうして税関は台湾灯台の管理機関となり現在に至っています。今では台湾は世界で唯一、税関が灯台を管理する国家となっています。
台湾がかつて建造した漁翁島、鵝鑾鼻、高雄、安平、淡水などの5基の灯台は、いずれも当時の清朝政府税関により建てられましたが、日清戦争で台湾が日本に割譲された後は中断されました。日本統治時代にも台湾では多くの灯台が建てられましたが、第二次世界大戦中に同盟軍の空撃により深刻な打撃を受け、発光できるものがわずかとなってしまいました。税関は民国35年(西暦1946年)に台湾の灯台を管理する使命を受けた後に積極的に設備の修復を行いました。海上運愉業界の需要に応え、翌年に台澎地区の沿海灯台と照射灯などが正常に作用できるように全面的な修復を行い、徐々に拡張や改良が計画されていきました。現在、台湾には全部で34基の灯台があり、また科学技術の進歩に伴って無線による電子測量ポールなどの設備により灯台の機能は大きく前進しました。




航行補助設備は、ナビゲーションシステムや航路標識とも言われているように、光波標識と電波標識の二つに分けられています。

光波標識には灯台、灯標、立標、灯船、灯浮標および浮漂など固定された航路標識により方向を誘導するものが含まれます。一方電波標識は地上系システムと衛星系システムに分けられています。地上系には、無線電波測量ポール、レーダー測量ポール、レーダー反射器、ロランC、デッカが含まれ、衛星系には海軍航海衛星システムと全世界測位システムの2種類があります。


灯台は主に塔高と灯高の二つの高度基準があります。灯台の高度を塔高といい、灯台のある地盤から塔先端の灯火カバーの風向灯や方向灯までの高度を指します。灯火の高度を灯高といい、高潮の時の海面から灯火中心までの高度を指します。灯火中心とは灯室灯火の中心点を指します。


灯火の構造から言うと、かつては科学技術がまだ発達していなかったため灯火はほとんどが露天で、塔頂にある金属製の籠の中で木材や木炭を燃焼させていました。その後牛脂、羊脂、植物油、石油、ガスなどの燃料に改良された時に、カバーがつけられるようになり露天ではなくなりました。

近年は科学技術の発達にともない、更に便利で機能的な灯器を使用するようになりました。現在では灯器は発光体、レンズ、閃光と回転ミラーなど4種の器材で構成されています。

発光体の移り変わりから言うと、かつて使用していた灯芯ランプ、白熱灯、白熱アセチレン灯などはすでに使用しておらず、現在はさらに進んだカーバイド灯(アセチレン灯)、電灯が使用されています。電灯は一般家庭で使用されている電灯形状と似ていますが、堆積はさらに大きく、ワット数も約750から1500となっています。


かつては灯芯を使った灯りを使用し、芯の少ないものを単芯、芯の多いものを多芯としていました。当初、発光体には植物油を使い、後にパラフィン、最終的に石油へと変化しました。


白熱電球とも呼ばれています。灯台の発光体をより明るくするために、油灯を加圧した石油と空気を混ぜた気体を燃焼させるものに変わりました。シェードで覆った白熱灯ソケットには、巴氏と姜氏などの白熱灯があります。アセチレンの火口をシェードで覆ったアセチレン白熱灯もあります。


アセチレンランプとも呼ばれ、ほとんどが無人看守の照射灯や浮灯に使われています。この発光体はアセチレンをアセトン吸収物のチューブに入れ、圧力調整と定期的に開閉する閃光装置により、火口から閃光を放出します。


全部で10種類の規格があり、レンズの直径により分けられています。特等灯(2660㎜)、一等灯(1840㎜)、二等灯(1400㎜)、三等灯(1000㎜)、中型三等灯(800㎜)、小型三等灯(750㎜)、大型四等灯(600㎜)、四等灯(500㎜)、五等灯(375㎜)、六等灯(300㎜)があり、直径300㎜以下は等級に


一般の家庭用電気、発電機による交流電や電池による直流電などの燃器を使用して発光源とします。交流電源には大型白熱電球をセットすることができ光力はより強くなります。直流電源は、一般的に交流電源が不足しているところや無人看守の灯台に設置されます。


灯質の違いに基づいて灯光の明滅を規則的に変化させる装置です。一般的にアセチレン閃光装置と電灯閃光装置に分けられています。電灯閃光装置は供給電力の電源が異なるため、さらに交流と直流の二種類に分けられています。通常は中型、小型の灯器に使われます。


半球や全の鋳型の水晶ガラスに用いられています。凸ミラーとプリズムを組み合わせて作られ、屈折集光して光力を増強させることができます。その種類はたいへん多く、屈折鏡、反屈折鏡、半球レンズなどがあります。

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